下妻一覧表
下妻井戸端
ブログ検索
BLOG月別過去ログ
BLOGカテゴリ一覧
オンライン状況
100 人のユーザが現在オンラインです。 (2 人のユーザが 下妻日記帳 Blog を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 100

もっと...
Feed Meter
人気ブログランキング - 下妻日記帳
Web Designing
WD Examination 1 Passed!
Mobile Pironkey's
アクセスカウンタ
今日 :4103410341034103
昨日 :1968419684196841968419684
総計 :1381268138126813812681381268138126813812681381268

2006年11月12日(日曜日)

城山稲荷

カテゴリー: - ricmania @ 00時00分00秒

061107_1609~0001 061107_1609~0002

子供の頃は「稲荷山神社」と読んでいたんですが、どうも正式名称を「城山神社」というらしいです。名前がもうそれですね!

ここは下妻一高の東北にある稲荷神社ですが、実は戦国時代は多賀谷城の西陣であり、下妻一高敷地から陣屋(地名)一帯が江戸時代の井上氏の陣屋跡であった場所で、この神社はひょうたん型の頭部分の守護社として丑寅の方角に置かれたようです。

何故神社側から写真を撮らず、遠まきに裏山を撮っているかというと、昔は隣に高校の弓道場があって見えなかった裏山の土塁跡が確認できるようになったからです。
まず、高校に上がるところも元々土塁だった周りをコンクリートで固めてあり、その向こうに一段高く土が盛られていて木が生えているのが判ります。

今の陣屋地区に住んでいる方々は皆士族や刀鍛冶の末裔などで、井上氏縁の由緒ある家柄の方ばかりです。そして、この稲荷神社の氏子になっています。

この神社の北側の土地は、今でこそ埋め立てられて空き地になっていますが、30年前はかなり低地のヌカヌカのドブ田で、昔お城の堀だった事がはっきり判る地形でした。いずれ、時代ごとの地図を整備してわかりやすくしたいですね。


コメント

このコメントのRSS

TrackBack URL : http://pironkeys.main.jp/modules/wordpress/wp-trackback.php/70

この投稿には、まだコメントが付いていません

コメントの投稿

改行や段落は自動です
URLとメールアドレスは自動的にリンクされますので、<a>タグは不要です。
以下のHTMLタグが使用可能です。
<a href="" title="" rel=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <br> <code> <em> <i> <strike> <strong>


ご注意 : セッティングにより、コメント投稿から実際に閲覧できるようになるまで暫く時間が掛かる場合があります。 再投稿の必要はありませんので、表示されるまでお待ち下さい。

16 queries. 0.012 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress

copyright (c) 2003 OCEAN-NET All right reserved
素材 : アイコンと牛飼いの部屋様