「小野子の観音様」として地元の方々に大切にされているこの千手観音は、なんと多賀谷下総守基泰の名前が胎内に刻まれているといいます。 基泰は多賀谷祥潜の別名と言われ、祥潜は多賀谷氏が結城四天王として下妻に定住する基礎を作った人で、1555年に菩提寺である曹洞宗龍潜山多宝院を建立しています。
この千手観音は1520年に作製されたと言われていますから、本当に下妻に入ったばかりのころのものでしょう。祥潜のほか多賀谷の家臣の名前が2名彫られています。下妻市にとってとても貴重なものです。
先日亡くなった郷土史家の矢中先生が保存に尽力していたことを思い出します。
|