下妻本城町にある多賀谷城址公園。ここは昭和32年の都市計画時に、江戸時代は放置されていた城址の周辺を整備して公園化したところで、本丸があった場所です。明治27年に旧家臣団が建立した多賀谷城址の石碑が立つ二段の小山のみは、戦国時代から残る唯一の「本物」の土塁らしいです。
公園整備される前は、周囲の堀は田んぼとガマが生い茂る湿地になっており城址はぼうぼうの山になっていたそうで、下妻市役所はここの整備のために自衛隊に奉仕作業をお願いして、土塁を削り、その土で湿地を生めて駅の東側に街ができるようにしたそうです。 今となってはどうにもなりませんが、駅東がいまいち発展していない現況をみると、その施策は果たして正しかったのか・・・そろそろ評価する時期かもしれませんね。
とはいえ、子供の頃はここの公園でよく遊びましたし、今もウチの子供達がお世話になってますし、城址が結局下妻の人々の憩いの場になっている事は、歴史を伝えるうえでプラスかもしれません。
下妻市役所には都市計画前の状況写真も多数残っているらしいので、是非今後歴史アーカイブスということで、古い記録写真や工事写真をデジタル画像に変換して、図書館などで見せていただきたいものです。というか、そのあたりお手伝いしたいです。市役所と市民が持っている様々な写真や資料を共通の資産としてデジタル化したいですね。アメリカのフィラデルフィア市で画像アーカイブ事業を成功させてますし。
ということで、土類と堀は残っておりませんが、本丸が周囲の湖沼(水)から浮いた島のような状態で存在していた事は安易に想像できます。 周囲に建ったビルや家の屋根が無ければ、堀の対岸にある城山稲荷の土塁やお船山がはっきり見えた事でしょう。
|