城山稲荷

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子供の頃は「稲荷山神社」と読んでいたんですが、どうも正式名称を「城山神社」というらしいです。名前がもうそれですね!

ここは下妻一高の東北にある稲荷神社ですが、実は戦国時代は多賀谷城の西陣であり、下妻一高敷地から陣屋(地名)一帯が江戸時代の井上氏の陣屋跡であった場所で、この神社はひょうたん型の頭部分の守護社として丑寅の方角に置かれたようです。

何故神社側から写真を撮らず、遠まきに裏山を撮っているかというと、昔は隣に高校の弓道場があって見えなかった裏山の土塁跡が確認できるようになったからです。
まず、高校に上がるところも元々土塁だった周りをコンクリートで固めてあり、その向こうに一段高く土が盛られていて木が生えているのが判ります。

今の陣屋地区に住んでいる方々は皆士族や刀鍛冶の末裔などで、井上氏縁の由緒ある家柄の方ばかりです。そして、この稲荷神社の氏子になっています。

この神社の北側の土地は、今でこそ埋め立てられて空き地になっていますが、30年前はかなり低地のヌカヌカのドブ田で、昔お城の堀だった事がはっきり判る地形でした。いずれ、時代ごとの地図を整備してわかりやすくしたいですね。





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